氷の上 on the ice 2005 3 31
湖の氷の上を歩いたことがあるでしょうか。
私は、大学生の時に、そういう冒険をしたことがあります。
困ったことに、後輩が、それを真似して、湖の中央まで歩こうとして、
氷が割れて、水没したことがあります。
後輩は、木に結んだロープを持ちながら、進みましたので、命は助かりました。
今の経済も、氷の上を歩いているようなものです。
いつかは、足元の氷が割れるでしょう。
3月29日の日本経済新聞の「大機 小機」(第19面)というコーナーには、
「米国経済の成長限界」という記事があります。
非常に興味深い記事です。
さて、どこまで、氷の上を歩き進めることができるでしょうか。
米国経済か、中国経済で、変調があれば、
確実に、日本経済も、大きな影響を受けるでしょう。
そもそも、日本経済が好調と言われるのは、
米国や中国への輸出が好調だからでしょう。
相変わらず、外需依存は変らないはずです。
株式市場だって、外需依存です。
2003年の前半は、株式市場は、奈落の底にありました。
そこへ、白馬の騎士(外国人投資家)が現れたのです。
外国人投資家は、2003年の後半と2004年で、
合計して10兆円以上、日本株を買い越したのです。
こうして、株式市場の転落は終わり、復活したのです。
こういう状況ですから、
外国人投資家が、こうした資金を引き揚げてしまうと、どうなるか。
また、奈落の底に逆戻りします。
娯楽やファッション、グルメに夢中になっている者が多いですが、
自分たちが、湖の氷の上にいることを忘れてはいけません。
一見、繁栄しているように見えても、それは、氷の上の繁栄です。
株式市場 stock market 2005 2 28
今でも、日本の株式市場の危機的状態を救ってくれた外国人投資家には感謝しています。
2003年の前半、株式市場は、こういう状態でした。
多くの人が株価は底に達したと言った状態から、さらに底が割れて、
まるで「底なし沼」にいるような状態でした。
しかし、2003年の後半から2004年にかけて、
外国人投資家は、毎年、数兆円の規模で、日本株を買い越し、
株式市場の「底なし沼」の状態を食い止めたのです。
つまり、株式市場にとって、外国人投資家は、救世主だったのです。
それでも、こうした救世主の役割は、外国人投資家だったのかと思う時があります。
こうした救世主の役割は、国民ではなかったのか。
かつて、日本では、株を、企業同士で持ち合いしていました。
たとえば、取引先同士で、株を持ち合いしたり、
取引銀行に大株主になってもらいました。
こうすることで、経営者は経営に専念できるでしょうし、
外国企業からの買収を防ぐことができたでしょう。
しかし、問題も発生しました。
企業同士で、株を持ち合いしていましたので、
経営に対する「監視や監督」というものが機能していない状態でした。
その結果、企業の不祥事が相次いだ時期がありました。
そこで、こうした「株の持ち合い」は、
経営に対する「監視や監督」というものが機能しないので、
「株の持ち合い」は解消すべきであるという声が強くなりました。
企業や銀行は、こうした声が強くなりましたので、
「株の持ち合い解消」を、積極的に進めました。
つまり、企業や銀行は、持っている株を積極的に売ることになったのです。
当然、株価は下落します。
なぜならば、今まで存在しなかった「売り手」が、新しく増えたからです。
「売り手」が増えて、「買い手」がいないならば、株式市場は、「底なし沼」となります。
そこへ、タイミングよく外国人投資家が現れて、救世主(買い手)となったのです。
これで、株式市場の「底なし沼」の状態が食い止められたのです。
その結果、日本企業の大株主は、外国人投資家になりました。
はたして、これで、よかったのか。
こうした役割は、国民が演じるべきではなかったのか。
もちろん、「株の持ち合い解消」は必要でしょう。
しかし、「株の持ち合い解消」をする時の「受け皿」を考えていなかったと言えるでしょう。
もしかすると、この「受け皿」は、始めから外国人投資家を想定していたのかもしれません。
あるいは、国民が、この「受け皿」になるように考えていたのかもしれません。
しかし、人間は、急に変ることはできないのです。
「貯蓄から投資へ」というのは、机上の空論です。
今日まで貯金主義者の人が、明日から投資家になる。
これは、無理な話です。
こんな曲芸ができるのは、天才だけです。
常識的には、投資家になるには、教育が必要です。
株式投資について、勉強する必要があるのです。
それには、数年かかるでしょう。
だから、「今日まで貯金主義者の人が、明日から投資家になる」という話は、
机上の空論です。
こうしたことを書くと、政治家や官僚が批判されるでしょう。
しかし、政治家や官僚は、自分の担当分野で、よく仕事をしています。
ただし、それが失敗の原因になっていることに気づいていないのです。
全員が専門家になってしまうと、どうなるか。
たとえば、学者に、専門外のことを聞いてみてください。
「それは、私の専門ではない」と言うでしょう。
悪く言えば、専門バカになっています。
政治家や官僚が、みんな、こうした専門バカになると、どうなるか。
これは、「木を見て森を見ず」となります。
つまり、日本が迷走するでしょう。
もちろん、政治家や官僚にも専門家は必要でしょう。
しかし、それは一部で十分です。
多くの政治家や官僚は、物事を総合的に考えるべきです。